自殺ダメ



 トラックが事故に遭ったとの知らせが届けられて、母は取るものも取りあえず家を飛び出していった。当時小学校五年生だった私も、訳も分からず、ただ母の血相を変えた姿に驚いて、その後を追って走った。が、現場に来てみると、重傷者は既に軍の病院に運ばれているという。そこで又、その病院まで走りに走った。
 病院に着いてみると、担架で運び込まれたままの格好で、何人もの学生が床に横たえられている。その周辺は詰め掛けた家族や病院関係者でごった返していて、顔の確認が出来ない。見えるのは下半身だけである。その中でひときわ大きく長い脚をしていたのが兄だった。兄は同じ年齢の子に比べて身体も性格も二、三歳大きかったという。その上、顔が上品でハンサムだったので、すれ違う人が振り返ることが多かったという。
 その兄が、今や、左脚がやっと皮一枚で繋がっているという無惨な姿で目の前にいる。左顎にも、まるで剃刀で切ったような深い傷があり、左側の歯が全部無くなっていたという。我々が到着した時はまだ脈拍はあったらしい。輸血をするとその脈が一段と強くなり、聴診器を胸に当てていた医者が「有望!」と叫んだ。が、それは事切れる前の断末魔の反応にすぎなかった。兄は間もなく息を引取った。
 母はその後何度か「我が子褒めるは七バカ半、と昔から言うけど、あの子は掛け値なしに、全ての点で良く出来た子だった」と語った。顔や身体が整っていたばかりでなく、性格的にも大らかで、学業も良く、スポーツも万能だったという。その兄の死を悼んで担任の岩松英親先生が次のような歌を霊前に捧げてくださった。

 ひた燃ゆる 純情あらしの花つぼみ 悲運の中に、 散りし君かも