自殺ダメ



 こうした例から言えることは、肉体から離脱した幽体は必ずしも全部が同じ条件下にはいないということである。自分の肉体が見える人もいるし、見えない人もいる。シルバーコードが見える人もいるし、見えない人もいる。霊界のスピリットが見える人もいるし見えない人もいる。肉体から離れた時の幽体のバイブレーションの変化の程度が個人によってことごとく異なり、それに伴って霊的視力の程度も変化しているということであるらしい。このことは体験者の報告を検討する際に是非とも心得ておくべきことである。
 さて、作業仮説として我々は少なくとも四つの身体の存在を認めねばならないであろう。すなわち物質体 physical 幽体 etheric 霊体 astral 本体 mental の四種である(巻末注参照)。しかもそれぞれに紐(コード)がついている。肉体のコード(へその緒)は誕生時に切られる。幽体のコードは太さがほぼ一インチ程である。霊体のコードになるとクモの糸位の細さになる。本体のコードについては詳しいことは分かっていない。
 本体は時として発光性の球体となって見えることがあるが、ある一定の条件下では肉体と同じ形体をとる。スカルソープ氏やU夫人もそれを観察しているし、他にもいくつか観察報告がある。
 肉体的特徴が明瞭に再現されている場合とか、肉体と間違えるほど実質性を具え、その場に居合わせた人全ての目に映じるような場合には、幽体が主役を演じていると私は考えている。この際、肉体は大抵深い昏睡状態にあり、肉体も同時に活動していたというケースは滅多にない。シルバーコードに操られている範囲内での行動も幽体のせいである。私はこのコード範囲の行動を〝遊離〟 excursion と呼んで区別することを提唱したい。
 意識と記憶の問題はかなり複雑そうである。意識というのは最高の霊的原理、所謂〝神の火花〟なのかも知れない。だからこそ連続性があるのであり、何らかの形で記憶に留められていない時にだけ無意識になっているのであろう。四つの身体にそれぞれの形での記憶能力があり、相互関係もあるものと推定出来る。ただ、それが必ずしも正しく機能していないだけのことであろう。その記憶は本能や前世の記憶(再生が事実であると仮定して)と一緒に潜在意識に留められているのであろう。
 こうした試論は観察された事実と一致していると思うからこそ述べられるのである。各身体の記憶には部分的ないし副次的意識があって、それが中心的意識によって支配されているのかも知れない。そう仮定すればバイロケーションも説明がつく。驚異的なスピードで働く思念には、それが可能と思われるのである。
 以上、幽体離脱現象について概観してみたが、自然発生的なものから実験的なものまでの多面的なケースの全てを取り上げることは出来なかった。また麻薬や特殊な香料を使用した言わば人為的ケースについても論じていない。そうしたものも含めて、幽体離脱現象の研究を発展させる為には総合的な調査が必要であり、もっと多くの自然発生的ケースを検討し、もっと多くの実験を行なう必要があろう。