自殺ダメ



[よくわかる世界三大宗教]という本より抜粋。


 ここでは、仏教の死生観を紹介したいと思います。それはなぜかといえば、スピリチュアリズムの死生観と比較してもらい、どちらがより理性が納得するかを、あなた自身で判断して頂きたいからです。



 輪廻転生と末法思想

 六道に分かれて生と死を繰り返す「輪廻」から解脱することによって救いの世界へ辿り着く

 古代インド宗教に共通する「輪廻」と「業」の概念は仏教にも取り入れられた。後にそれは「転生」の思想と結び付き、六道による輪廻転生説が生み出された。


 仏教に伝わる「輪廻思想」
 本来、仏教において「輪廻」とは「因縁によって生滅し、変化を続ける心の流れ」を説明する為の概念。行為と結果による心の流れは絶えることがないが、そこに「私」という実体は存在しない(無我)と考える。この「輪廻」の考え方に「転生」が加えられ、死後の世界が語られるようになったのは、部派仏教の時代からである。


 (注)これは、本には図で示されているのですが、文章にしたのでやや分かり辛いです。多分、物凄く多くの仏教の宗派が存在するので、各宗派によっても死後の世界観は異なるのかもしれません。まあ、詳しく知りたい方はご自分で調べて下さいby自殺ダメ管理人。


 輪廻転生の様子


 現世→死

 死から三通りのコース

 ①解脱

 ②往生→極楽浄土(阿弥陀)

 ③中陰(冥土)
 (閻魔大王による審判が行なわれ生前の行いによって、六道のどこへ行くかが決定される。期間は49日間。なお、日本では「冥土」と呼ぶ。「三途の川」のエピソードも日本特有)

 ③中陰(冥土)から、六つの道のいずれかに転生する。

 ○天道
 天人の世界。人道より楽が多く苦の少ない世界ではあるが、人と同じように死苦がある。仏の世界から見ると絶対的とは言えない。

 ○人道
 人間界のこと。生老病死を含めた四苦八苦があるが、仏になる為の修業がもっともしやすい世界である。

 ○阿修羅道
 鬼の世界。仏教的な境地では人に劣るが、天道に近い能力を持つことが許されている。常に戦いが繰り返されている世界で、それは永遠に終らない。

 ○畜生道
 虫、魚、鳥などを含めた人以外のあらゆる動物が暮らす世界。死に至るまで弱肉強食の争いを繰り返すことから逃れられない。

 ○餓鬼道
 閻魔大王の支配下にある世界。この世界の住人は、飢えと苦しみに耐え続けながら生きていかなければならない。

 ○地獄道
 五戒を破った者が落ちる世界。鬼による責め苦が続く為、この世界の住人は絶えず苦しんでいる。


 六道・来世は全部輪廻転生→現世


 八段階ある地獄の責め苦

 「地獄道」又は「地獄」は、最上階の等活動地獄から、最下層の阿鼻地獄まで、大きく八つの層に分けられている。そして、下に行く程収容人数が大きく、苦痛も大きいと考えられている。

 等活地獄(最上階)
 (罪人同士で争い事を続ける。勝っても鬼に打たれて殺され、苦しみを味わう)

 黒縄地獄
 (体をのこぎりや斧で切り刻まれ、地獄の釜で釜茹でにされる)

 衆合地獄
 (鉄臼に投げ込まれたり、獣に襲われたりする)

 叫喚地獄
 (弓矢で追われ、鍋で煮られ、煮え湯を飲まされる)

 大叫喚地獄
 (嘘をついた者が舌を抜かれる。上記四つの十倍の苦しみを味わう)

 焦熱地獄
 (鬼に鉄棒で打たれ、串焼きにされる。大叫喚の更に十倍の苦しみ)

 大焦熱地獄
 (燃える刀で皮を削がれるなど、火を用いたあらゆる苦しみを味わう)

 阿鼻地獄(最下層)
 (一瞬も休むことなく、絶え間なく責め苦を受ける無間地獄。究極の苦しみ)

585585
仏教の地獄の図。刑期は、一番罪の軽い等活地獄でさえ1兆6653億年である。
ちなみに、蟻や蚊を一匹でも殺した時点で、悔悟しなければ等活地獄に落ちることは決定済みだそうです。殺虫剤とかゴキブリホイホイとか使用したことのある者は、絶対にここに落ちるだろ!


 仏の数だけ浄土がある
 「浄土」とは仏がつくった一切の苦しみがない清らかな世界。それぞれの仏にはそれぞれの浄土が存在する為、浄土は仏の数だけあるとされる。最も有名な「極楽浄土」は阿弥陀仏(ブッダ)の浄土である。

 仏の名→浄土の名称

 大日如来→蓮華蔵世界
 阿弥陀如来→西方極楽浄土
 薬師如来→東方浄瑠璃世界
 阿閦→東方妙喜国
 釈迦如来(釈迦牟尼仏)→無勝荘厳国
 観音菩薩→補陀落山
 弥勒菩薩→兜率天


 古代インドにも伝わる「輪廻」と「業」の思想

 仏教では「輪廻」という思想が語られる。
 「輪廻」とは、車輪が回転するように現世と来世を無限に繰り返す状態を指す言葉。人はその輪廻の中で、常に「業」を背負って生きているとされている。
 「業」とは「行為」を指す言葉だが、そこには行為に付随する功徳や罪も含まれている。
 どんな行為もその場で消える訳ではなく、結果は自分に返って来る。だから、人はその結果を自分で受け止めなければならないと考えられている。
 これが「自業自得」という考え方。際限なく続く輪廻の中で、現世の業によって来世の処遇が決まる訳である。
 こうした「輪廻」と「業」の思想は、インドの古代宗教であるバラモン教(後のヒンドゥー教)やジャイナ教においても規定の事実とされている為、仏教もその影響下にあるとされている。
 しかし、天界を頂点とした考え、カースト制度にもその考えが反映されるバラモン教(ヒンドゥー教)の輪廻思想と、仏教のそれが、全く同じものとは言えない。仏教の輪廻思想では、生命の連鎖や循環からの離脱を目指すことが第一と考えられているからだ。
 ブッダは、この輪廻思想について否定も肯定もしていない。
 現実に即した教えを重視したブッダは、弟子であるマールンクヤの死後の世界にまつわる質問に対して、「毒矢が刺さったら、あれこれ考えずに、まず矢を抜かねばならない」と答えた。
 つまり、答えが出ないことで思い悩まず、この世で出来ることを優先しようと諭したのである。

 「人の道」で悟りを開けば輪廻転生から解脱出来る

 仏教における輪廻思想は、やがて発展し、人が生前(前世)に背負っていた「業」に応じて、6つの世界(六道)に振り分けられるとする輪廻転生説が有力になっていく。
 人は死ぬと、まず「中陰」と呼ばれる状態に入る。
 そして、そこにいる49日間で、来世に六道のどこへ行くかが決定される。裁きを下すのは閻魔大王で、裁きの基準となるのが前世における「業」というわけだ。
 「天界」「人道」「阿修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」の六道のいずれかで来世を過ごした後は、再び「中陰」の状態に入り、閻魔大王の裁決を待つ。
 これを無限に繰り返すのが、輪廻転生である。
 この永遠の輪廻から抜け出す唯一のチャンスは「人道」にのみ存在する。「人道」は苦しみに満ちた世界(一切皆苦)ではあるが、仏の教えを受けることで、悟りの境地に達する可能性がある唯一の場所でもあるとされる。
 「天道」は「人道」の上位に位置する世界で、幸福と快楽に満ちた世界ではあるが、悟りに達することは出来ず、時が来れば、必ずまた輪廻を繰り返す運命にある。
 浄土への入り口は「人道」にしかない。だからこそ、現世で善行を積み重ね、悟りへの道を歩むことが大切だと説かれている。