自殺ダメ



[よくわかる世界三大宗教]という本より抜粋。


 ここでは、キリスト教の死生観を紹介したいと思います。それはなぜかといえば、スピリチュアリズムの死生観と比較してもらい、どちらがより理性が納得するかを、あなた自身で判断して頂きたいからです。



 最後の審判・天国と地獄

 神の創造したこの世界はいつの日か終わり、そのとき「最後の審判」により裁決を受ける。

 死を迎えた人々は生前の行いによって天国と地獄に振り分けられる。
 カトリックでは、「煉獄(れんごく)」という場所もあり、三層構造として死後の世界を捉えている。


 キリスト教の[死生観]

 [死]→[個人の審判]→[最後の審判]→[天国か地獄行き]


 死んだ後、どこで「最後の審判」を待つのか?
 天国と地獄に振り分けられるのが「最後の審判」なら、人はどこでその日を待つのだろうか?これについては「その日が来るまで眠っている」「全人類の審判の前に個人の審判がある」など諸説がある。アウグスティヌスは、後者の説を唱え、個人の審判を受けた後にそれぞれに相応しい境遇で待つと考えた。

【聖アウグスティヌス】
 古代キリスト教の神学者、哲学者でラテン語圏で最大の影響力をもった理論家。「聖アウグスティヌス」と称される。その思想の影響力は西方教会に留まらず、西洋全体に及んでいる。


 「ヨハネの黙示録」に示された終末思想

 世界の終わりに関する思想は、『新約聖書』の「ヨハネの黙示録」に示されている。著者のヨハネ(不詳)は、聖霊によって天上に招かれ、いつか来る「審判の日」のビジョンを垣間見る。ここでは簡単にその内容を紹介しておこう。

 1章 緒言

 2章~3章 七つの教会へのメッセージ

 4章~5章 神の玉座
 (7つの教会にメッセージがもたらされた後、玉座で礼拝が始まり、子羊が登場)

 6章~8章五節 子羊が七つの封印を開封
 (子羊が封印を解き、白い馬(勝利の欲求)、赤い馬(戦争)、黒い馬(飢餓)、青ざめた馬(死)などが放たれる)

 8章6節~11章19節 七人の天使がラッパを吹く
 (天使のラッパを合図に青草が焼け、海が血に染まり、人が死んで天の神殿が開かれる)

 12章~14章 天の戦い

 15章~16章 最後の七つの災い

 17章~18章 バビロンの滅亡
 (サタンが地に落とされ、神の怒りが頂点に達した後、バビロンが完全に滅亡する)

 19章1節~10節 天における礼拝

 19章11節~20章 キリストの千年統治
 (キリストの千年統治の後、サタンが一時的に復活して神の民と戦うが、滅ぼされる)

 21章~22章5節 新天新地

 22章6節~21節 全体の結び(イエス・キリストの再臨)
 (新しい天と地が生まれ、審判の時を終えて、イエス・キリストが再臨する)


 キリスト教における天国と地獄とは何か

 『旧約聖書』の「創世記」で語られる神が創造した世界は、いつの日か、終わりの時を告げる。その最後の瞬間に神の手で行われるのが「最後の審判」であり、ここで人々は、神の国の住人として相応しいかどうか、裁決を受けることになる。
 生前の行いが認められれば、神と共に天国(神の国)で幸せに暮らせる。しかし、もし善行が認められなければ、地獄の業火に焼かれて永遠に苦しむことになる。
 この天国とは「神の国」のことで、そこでは神と共に人々が暮らし、人は神の国の民となる。神の国には、死も悲しみも苦労もないとされる為、永遠に幸せが保証されているのである。
 一方で、地獄は「暗い所にある火が燃え盛る場所」で「そこには蛆が尽きることはない」と表現されている。『新約聖書』の「ヨハネの黙示録」には、「臆病な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、全て嘘を言う者の報いは、火と硫黄の燃える池で、それが第二の死である」と表現されている。
 キリスト教における天国と地獄に対する考え方は、元々ユダヤ教の影響を受けているが、現在、一般化している「天国」や「地獄」に対するイメージの殆どは、想像力によって誇張された映画や小説によるものである。

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キリスト教の地獄の様子の絵。永遠に地獄で悪魔に虐められる刑罰の様子。永遠なので、4000億年後も8000兆年後も7000京年後も相変わらず同じ苦しみを味わい続ける。たったの数十年の寿命の生き方の結果で・・・ハァ・・アホらしい・・・by自殺ダメ管理人。


 「煉獄」を認めるカトリック。認めないプロテスタント

 又、カトリックでは、天国と地獄の他に、「煉獄」という世界が存在すると信じられている。「煉獄」とは、罪の償いをしないまま死んだ霊魂が、犯した罪に応じて罰を受け、清められる場所。霊魂がここで清められれば、天国へ迎え入れられるとされる。
 この煉獄の存在を初めて指摘したのは、4~5世紀の神学者であるアウグスティヌスである。アウグスティヌスによれば、地獄の火と煉獄の火は本来、違うものであり、罪を犯して死んだ者は、煉獄を経由することで天国へ招かれる可能性があるとしている。
 そして、中世の修道院が死者の冥福を祈る典礼への寄進を呼びかけることによって、このような煉獄に対する考え方が一般に広まるようになった。
 著名なイタリアの詩人・ダンテは、叙事詩『神曲』において、「地獄編」「煉獄編」「天国編」として、このキリスト教の三層構造を描いている。
 一方、東方正教会では、煉獄に対する解釈が違う。煉獄の存在は認めるが、それは「場所」ではなく「魂が清められる状態」としている。
 又、プロテスタント教会では、16世紀に「聖書に基づかない虚偽である」として、カトリック側を激しく非難した。
 カトリック教会が煉獄の根拠として挙げている「マタイによる福音書」や「コリントの信徒への手紙」の一節は、受け取る側によって違う解釈が成り立つ為、明確な証拠とは言えない。現在でもプロテスタント教会は、煉獄の存在を認めていない。
 このように、キリスト教においては、所属する教会によって、死生観や死後の世界に対する考え方に大きな違いがある。