自殺ダメ



[よくわかる世界三大宗教]という本より抜粋。


 スピリチュアリズムの書物には、イエスやキリスト教に関する記述が多数出てきますので、それらの理解を深める為に、ここではごく簡単にではありますが、キリスト教の教義について記述したいと思います。殆どの日本人はキリスト教徒ではないので、知識は皆無だと思うから。


 キリスト教 教義

 イエスはユダヤの教えを発展させて神の慈悲と赦しを請うことを説いた。


 キリスト教における「三位一体」とは?
 「三位一体」とは、神は本質的に唯一つの存在だが、その中に、父、子、聖霊という三つの位格があるとする考え。この場合「父」は創造主を、「子」はイエスを指す。そして「聖霊」とは、奇跡を起こす不思議な存在である。

 神(創造主)   イエス・キリスト   聖霊


 キリスト教が考える「三つの罪」とは?
 キリスト教の「罪」とは「神の計画から離れること」を指す言葉。原罪、行いの罪、思いの罪の三つカテゴリーがあり、それらの全てが「罪」に相当すると考えられている。

 [原罪]
 人間が初めて犯した罪。アダムとイブが禁断の木の実を食べてしまったことを指す。アダムとイブは罰としてエデンの園から追放されてしまう。

 [行いの罪]
 『旧約聖書』に示されている「十戒」などの律法(神の掟)を破る罪。「姦淫するな」「嘘をつくな」「盗むな」などの掟を破る行為をすること。

 [思いの罪]
 『新約聖書』のイエスの教えによると、殺人や姦淫は、考えるだけでも罪になる。相手を憎んだり、欲望を感じたりすること自体が罪とされる。


 ユダヤ人がさげすんだ人々に対するイエスの態度

 ユダヤ教徒は歴史的な背景や律法を遵守する考えから、ローマ人、サマリア人、病人、罪人などをさげすみの対象とした。一方イエスは、敵を愛することを説き、その博愛の精神を実践した。そこにキリスト教が民衆に受け入れられた理由がある。

○ユダヤ人がさげすんだ人々

ローマ人 理由 重税を課してユダヤ人を支配している人々だから。
イエスの対応 ローマの百人体長の部下を癒した。

サマリア人 理由 ユダヤの地を侵略したアッシリア人と混血し、イスラエルの血を汚したから。
イエスの対応 サマリア人の女性に教えを説いた。

病人・罪人 理由 律法を遵守出来ない愚かな人々、又は、病にかかった弱い人だから。
イエスの対応 病人を癒し、罪人と共に食事をした。

姦淫を行なった人 理由 最も忌み嫌われるべき罪を犯したから。
イエスの対応 群衆が石を投げようとした時、「罪を犯したことがない者が投げよ」と言った。

徴税人 理由 ユダヤ人を支配するローマ人の手先となって税金を取り立てるから。
イエスの対応 寝食を共にし、弟子にした。


 「山上の垂訓」でイエスが説いた「八福の教え」

 ガリラヤ湖畔で布教をしていたイエスは集まって来た群衆や弟子と共に、小高い丘の上に行き、そこで「八福の教え」から始まる説教をした。イエスは各地で数々の名言を残しているが、この山上の垂訓はそれらの集大成と言えるものである。

○心の貧しい人々は幸いである、天国は彼等のものである。

○悲しんでいる人々は幸いである、彼等は慰められるだろう。

○柔和な人々は幸いである、彼等は地を受け継ぐであろう。

○憐れみ深い人々は幸いである、彼等は憐れみを受けるであろう。

○心の清い人々は幸いである、彼等は神を見るだろう。

○平和をつくり出す人々は幸いである、彼等は神の子と呼ばれるだろう。

○義の為に迫害されてきた人々は幸いである、天国は彼等のものである。



 神への信仰と隣人への愛を説き弱者にも手を差し伸べた

 イエスは神に対する絶対的な信仰と隣人愛を説いた。
 まず信仰の面では、全ての存在を生み出した創造主である神(God)を信じることを教えている。
 キリスト教の場合、神が唯一絶対であることに間違いはないが、同時にそこには「創造主」「イエス」「聖霊」の三つが含まれると考える。
 これは「三位一体」と呼ばれる考え方だ。「神の子」と呼ばれるイエスは、創造主の子であると同時に、イエス自身が「神」という存在に含まれる。
 又、キリスト教の教義を理解する為には、「罪」についての考え方を知ることが重要だ。
 キリスト教の「罪」とは「crime」ではなく「sin」のこと。『新約聖書』のギリシャ語では「ハマルティア」と表現される。この言葉は元々「的外れ」という意味だが、聖書では「神の計画から離れる」という意味で使われている。
 具体的には、生まれながらの人が背負う「原罪」、神が定めた掟を破る「行いの罪」、掟を破ることを考える「思いの罪」の三つの罪がある。『新約聖書』の「ローマの信徒への手紙(3章10節)」には「正しい者はいない。一人もいない」とある。
 罪のない人はいない。イエスはその罪から人々を救う為にこの世に現れたと考えるのである。
 もう一つの特徴である「隣人愛」については、ガリラヤ湖畔で行なわれた「山上の垂訓」によく表されている。ここでイエスは、まず「心の貧しい人は幸いである、天国は彼等のものである」というフレーズで始まる「八福の教え」を説き、それから、モーセの十戒に基づいた戒めを語り「人にしてもらいたいと思うことを人にしなさい」と諭した。
 その教えの中でイエスは、社会的な弱者に対して積極的に手を差し伸べている。法を犯した罪人や病の為に儀礼を守れない病人にも、優しく教えを説いた。
 当時のユダヤの民衆は、ローマ帝国の圧政に苦しむ人々であり、その意味で社会的な弱者だった。イエスの教えが急速に広まった理由として、そのような社会的な背景があることも無視出来ない。