自殺ダメ




 陸軍士官の告白はここに至りてますます深刻味を加えてまいります。魔術に関する裏面の消息が手に取るように漏らされて、心霊問題に携わる者の為にこよなき参考の資料を供してくれます-

 それから吾輩は直ちに生前魔法使いであった者を物色し始めた。自分の領土内にも案外そんな手合いが沢山居ることは居たが、大概はちょっと魔法の一端をかじった位の者ばかりで、所謂魔法使いの大家であった者は地獄のもっと深い所へ墜とされているのであった。
 が、散々探し回った後で、やっとのことで一人、かつて魔道の大家の弟子であったというのを見つけ出した。そいつは、実地の経験は少しもないが、ただ魔道の秘伝だけは生前その師匠から教わっていた。そして地上の魔術者と連絡を取る方法なるものを吾輩に伝授した。
 その方法というのはつまり一つの呪文を唱えることである。地上の魔術者が唱える呪文と霊界で唱える呪文とがぴったり合うと、そこに一つの交流作用が起こって感応が出来る・・・。秘伝は単にそれだけで、やってみれば案外易しいものであった。
 兎も角も吾輩が、そうして連絡を取ることになった。魔術者というのは一人のドイツ人で、プラーグの市端に住んで居る者であった。そいつは中々の魔術狂で、既に死者の霊魂-勿論幽界のヤクザ霊魂ではあるが、そんな者を呼び出す方法を心得ており、又少しは妖精類とも連絡を取っていた。が、それでは段々食い足りなくなって、近頃は本物の地獄の悪魔を呼び出しにかかっていた。待ってましたと言わんばかりに早速それに応じたのが吾輩であった。
 さて例の呪文と呪文との流れの中に歩み入り、こちらの念を先方の念に結び付けてみると、不思議不思議!自分は無限の空間を通じて地上に引っ張られるような気がして、忽然として右のドイツ人の面前に出たのであった。
 神秘学研究者-そう右のドイツ人は自称しているが、成る程不思議な真似をしている男には相違なかった。先ず輪を作って自分がその中央に立つ。輪の内面には三角を二つ組み合わせて作った六角の星型がある。その周囲には五角形やらその他色々の秘密の符号が描いてある。室内の火鉢からは何やらの香料の煙が濛々と舞い上がる。
 室そのものが又真っ暗で、四方の壁も床も石で畳んであるところから察すれば確かに一の穴蔵らしかった。壁に沿いてはミイラも容れた木箱やらその他二、三品並べられてあった。
 吾輩の方からは先方の様子がよく見えたが、先方はまだ吾輩の来ていることに気がつかぬと見えてしきりに呪文を唱え続けた。吾輩は成るべく早く先方が気のつくようにと意念を込めた。
 ふと気がついてみると、輪の外側には、少し離れて一人の婦人が恍惚状態に入っていた。
 「ははァ」と吾輩は早速勘付いた。「我々はこの女の肉体から材料を抽き出して幽体を製造するのだナ」
 吾輩は直ちに右の婦人に接近して幽体製造に着手すると同時に、ますます念力を込めて姿を見せることに努めた。間もなく魔術者は吾輩を認めた。吾輩の姿はまだ普通の肉眼に映ずるほど濃厚ではないのであるが、先方がいくらか霊視能力を有していたのである。
 みるみる魔術者はさッと顔色を変えて恐怖の余り暫くはガタガタ震えていたが、やがて覚悟を決めたらしく、きッと身構えして叫んだ。
 「命令じゃ、もっと近寄れ!」
 「大きく出やがったナ」と吾輩が答えた。「吾輩は何人の命令も受けぬ。頼みたいことがあるならそれ相当の礼物を出すがいい」
 吾輩の返答には奴さん少なからず面食らった。悪魔を呼び出すのには、古来紋切り型の台詞があって余程芝居気たっぷりに出来上がっている。ところが吾輩はそんな法則などを眼中に置いていないのだから、相手がマゴつくのも全く無理はない。
 暫く躊躇した後で彼は再び言った-
 「然らば汝の要求する礼物とは何物なるか?」
 相変わらず堅苦しいことを言う。こんな場合に普通の応答としては「汝の魂を申し受ける」とか何とか言うのであろうが、吾輩別に魔術者の魂など欲しくも何ともない。さてそれなら何と返答をしようかと今度は吾輩の方で躊躇したが、漸く考え出して叫んだ-
 「それならお前の方で何を寄越すか?」
 「余の魂をつかわす」
と早速の返答。
 それを聞いて吾輩は嘲笑った-
 「お前の腐った魂などを貰ったところで仕方がない。吾輩はモちと実用向きの品物が欲しい」
 「然らば」と彼は一考して「汝に人間の体を与えてつかわす。それなら便利であろうが・・・」
 「そんな芸当が出来るかね?吾輩は幽体さえ有してはいない・・・」
 「苦しうない。先ず汝に一個の幽体を造ってつかわす。幽体を造っておいて、次に肉体を占領するのが順序じゃ」
 「そいつァ豪儀だ!是非一つやってくれ・・・・」
 魔術者の言葉は決して嘘ではなかった。さすがに神秘学の研究者と名乗るだけあって、彼は中身なしの幽体の殻だの、稀薄に出来上がった妖精だのを沢山引き寄せる力量を持っていた。で、吾輩はそれ等の中から然るべき妖精を一匹選り出して吾輩の元の姿に造り替えた。それから今度は霊媒に近付き、魔術者からも手伝ってもらって、本物の物質的肉体を製造することに成功した。
 吾輩は思わず歓呼の声を挙げた。一旦地獄へ落ちた身でありながら、も一度肉体を持って地上に出現することが出来たのであるから嬉しくて堪らない筈だ。
 「ド-かね君、人間らしく見えるかね?」
 「右顧左眄しながら叫んだ。
 「ああ中々立派な風采じゃ!」
 「外出しても差し支えないものかしら・・・」
 「さァそいつは受け合われないが、兎も角も出掛けてみるがよかろう」
 そこで吾輩は石段を昇って晴天白日の娑婆に出てみた-が、その結果は不思議であると同時に又頗(すこぶ)る不愉快でもあった。吾輩の体はゾロゾロと溶けて行くのである。
 「ウワーッ!大変大変!、助け舟・・・」
 急いで穴蔵に駆け込んで行って物質化のやり直しをする始末!
 「君」と吾輩が言った。「太陽の光線に当たってヘロヘロと溶けるような体は有り難くないナ。モちと何ぞマシなものを造ってくれんか?」
 「仕方がなかったら」と彼は囁いた。「生きている人間に憑依することじゃ。それなら溶ける心配はない-この人造の体じゃとて、気をつけて暗闇の中ばかり歩いておればちっとも溶ける心配はないのじゃが・・・」
 こんな按配で吾輩はこの魔術者とグルになってますます悪事を企むことになった。