自殺ダメ



 我々がいよいよ呪われたる約束の地に落ち着くと同時に、たちまち無数の鬼共が前後左右からバラバラと群がり寄った。
 「兎も角もこれで褒美の品にありつけるな・・・・」
 吾輩が独り笑壺に入ったのはホンの一瞬間、褒美どころか、あべこべに一人の鬼からこんな引導を渡されてしまった-
 「汝は悪魔の役割を横取りしやがって、人間をこんな所へ連れて来たが、よく考えてみるがいい。俺達と汝達とは種類が違う。汝達にはそんな事をやるべき権能は少しもない。俺達は人間を憎んでそれを虐めるのが天職だ。汝達は元々人間の部類で、これを憎んだり虐めたりすべき権能を持っていない。汝は単なる利己心から汝の同胞を裏切ったのだ。俺達の仕事とはまるきり畑違いだ。馬鹿にするない。人間がいかに鬼の真似をしたからとて本当の鬼になれてたまるものか!俺達の天性と汝達の天性とは根本的に違っている-コラ畜生!さっさと自分の仲間の所へすっ込め!」
 吾輩は這う這うの体で自分の誘惑して来た亡者共の群に戻ったが、それはホンの一瞬間に過ぎなかった。吾輩の彼等に約束したことがまるきりペテンである事がバレると同時に何れもカッとムカッ腹を立て、総勢一時に武者振りついて吾輩を八つ裂きにしようとした。イヤそれから引き続いて起こった夢魔式の争闘と云ったら全く目も当てられません。一方では鬼の鞭で一同前へ前へと追い立てられる。追われながらも仲間の亡者はズタズタに吾輩の体を引き裂きにかかる・・・。吾輩の体は何回引き裂かれたか知れない。少なくとも何回裂かれたような気持がしたか知れない。その癖死ぬことも出来ず、生きながら死の苦しみを続けるばかり・・・。
 漸(ようや)くのことで吾輩はちょっとの隙間を狙って彼等の間から脱け出して死に者狂いに逃げた。すると彼等も死に者狂いになって直ぐ後から追い掛けて来た。
 それから何処をどう通過し、何事をどうやったのかは記憶にさえも残っていない。ただ悪夢に襲われた時とそっくりそのまま、前へ前へと疾駆するらしく感ずるばかり・・・。そうする中に又もや急転直下式に下方に向かって墜落し始めた。終いにはジタバタもがく気力もまるきり失せてしまって、勝手放題に下へ下へ下へ下へと、未来永劫届く見込みの無かりそうな奈落に墜ち込んで行ったのであった。
 何年間、何十年間その状態を続けたかは判らないが、それでもとうとう吾輩の墜落事業が中止さるべき時期が到着した。吾輩の体は何やら海綿みたいな物体の中に埋没してニッチもサッチも動けなくなって来た。無論それはガッシリした堅い地面ではないが、さりとて又ジクジクする泥田みたいな所でもない。地球上には先ずそれに類似のものがまるきり見当たらない-もっともそりァその筈で、右の海綿状の物体というのは地獄名物の闇の凝塊なのです。嘘だと思ったら行って御覧なさい。実際それは触覚に感ずる濃厚体ですから・・・。 兎に角この海綿状の黒霧が吾輩の墜落を食い止めたのである。が、それは決して踏んで踏み応えのある代物ではない。前後左右何処もかしこも皆フワフワしていて、頭の上も足の下も堅さに於いて別に相違がない。音もなければ光もなく、一切皆空の、イヤに寂しい、情けない、気持の悪い境地である。絶対の孤立、絶対の無縁-ただ人間の仲間外れになったばかりでなく鬼にさえも見離されてしまった孤独境なのである。
 これが運命に逆行して必死の努力を試みた吾輩の最後の幕なのであります。あ~あの時の寂しさ、物凄さ・・・・。