自殺ダメ



 老人は鹿爪らしい顔をしてなお諄々(じゅんじゅん)と説明を続けた-
 「一体著者の目的が真に社会同胞の安寧幸福を増進せんが為であるならたとえそれが生体解剖の書物であろうがそれは決して地獄には来ない。しかし多くの学者、なかんずく大陸の学者が生物を解剖するのは、解剖の苦痛がいかなる作用を生体に及ぼすかを調べてみたいという極めて不健全な好奇心から出発するのが多い。これは社会同胞に対して何らの公益もなく、又その種の書物の出版は徒(いたづら)に他人に同様の好奇心を促進させることになる。そんなものが地獄の所属となるべきは言うまでもあるまい。それから又、ある一部の科学者のやる実験じゃが、よしやその動機は善良であるにしても、その執るところの手段方法が愚劣を極むる場合が少なくない。そんなものを発表する書物も矢張り地獄の厄介になる。他人に迷惑をかけるだけの代物じゃからな・・・」
 「そう致しますと、大概の生体解剖学者連が死んでから落ち着く場所はこの近傍ですな?」
 「随分多勢の生体解剖学者がこちらへ来ているよ-が、お前さんが想像する程そんなに沢山でもない。生体解剖学者などという者は大抵は冷血動物に近いが、その中のかなり多数は純然たる学究肌で、少々眼のつけどころが狂っているという位のところである。で、彼等の欠点は暫く幽界で修業している中に大抵除かれるものじゃ。お前さんも知っとるじゃろうが、生前彼等の手にかかって殺された動物は幽界でその復讐をやる。そうすると大概の学者は、これではいかんと初めて眼が覚めて前非を後悔する・・・」
 「何ぞ罪障消滅の方法でもありますか?」
 「そりゃあるよ・・・。あの動物虐待防止会などという会がちょいちょい人間界に組織されたり何かするのはつまりその結果じゃよ。が、全体あの学問の為にという奴が随分曲者で、どれだけあの為に地獄が繁昌しているか知れたものじゃないな・・・」
 「地獄では科学者達をどんな按配に取り扱っています?」
 「そりゃ色々じゃよ。解剖学者などはこの図書館から遠くもない一つの病院に勤務している・・・」
 「エッ病院・・・」
と吾輩びっくりして叫んだ。
 「そうじゃよ-もっとも地獄の病院という奴は患者の治療が目的で経営されているのではない。例の神聖な学問の研究が目的でな。イヒヒヒヒ。お前さんも一つ自分で出掛けて行って見物して見るがいい。若し自分の体を解剖されるのがさほど怖くないなら・・・イヒヒヒヒ」
 会話はこんなところで一先ず切り上げておいて我々は図書館の第二部に進み入った。ここは色々の思想が悉く絵画の形で表現されているところで、その内容は勿論憎悪・残忍その他に関係しているものばかりであった。例えば人体に苦痛を与える為の精巧無比の器械類但しは霊魂や幽体の攻道具の図解等で、よくもこんな上手い工夫が出来たものだとほとほと感心させられるようなのがあった。
 が、一番酷かったのは第三部で、拷問にかけらるる人物の苦悩の順序などが、事細やかに、例の活動写真式に眼前に展開されて行くのであった。
 老人がこんなことを吾輩に説明した-
 「他人を苦しめようと思えば、どんな方法を用いればどんな苦痛を起こすものかを学理的に知っておくことが必要じゃ。苦痛の原理を知らないでは、こちらに充分の意思が起こらんから従って先方に充分の効果を与え得ない。ここで調べておけば先ずその心配はなくなる・・・・」
 吾輩が見物した多くの絵画の中に人間の生体解剖の活動写真があったが、いかに何でもそいつは余りに気味が悪くて、とてもここで説明する気分にはなれない。
 これ等を見物している中にさすがの吾輩も段々胸持が悪くなって来た。吾輩も随分無情冷酷な男で、時々酷い復讐手段も講じたものだが、しかし苦痛の為の苦痛を与えて快(こころよ)しとする程の残忍性はなかった。矢鱈に他を苦しめて嬉しがる-そんなイタズラは吾輩にも到底為し得ない・・・。