自殺ダメ


 ワード氏は霊界探検の続編『サバルターン・イン・スピリット・ランド』に長い序文を書いております。そして自分の立場から心霊問題につきて中々詳しく意見を書いておりますから、その一部を紹介しておくことに致します-
 「私の弟の死は我々を取り巻く所の「未知の世界」と更に新しい一つの連鎖を作ることになりました。弟の行ったのは霊界ではなく、幽界の方ですから、自然私の注意は後者に集注されました。幽界は当時戦没者の霊魂で充満し、全然変調を呈していましたが、それが却って後に生き残っている我々に取り一層興味深く感ぜられるのであります。
 私は自身で一年の内に近親の者を三人まで失っているのですから、過ぐる五ヵ年の戦役中、いかに多くの人達が悲しい思いをなされているかはよくお察しすることが出来ます。私には読者の多くの方々に恵まれていない一つの長所があります。私は幽界へ出掛けて行って、目の当たり死者の霊魂とお話が出来るのです。それでありながら私は人の死を世にも辛いものと感じます。然らば私のような真似の出来ない方々の悲痛は更にいかばかり深いでありましょう!
 私が本書を発表するに至った動機は、私と同様の不幸な境涯にある方々にいささかでも慰安を与えたいと感じたからであります。私は弟の死ぬるずっと以前から死者は決して死ぬものでないことをよく存じていました。しかし死者が幽界でどんな風の生活を送っているかは当時の私にはよく判りませんでした。幽界の事情はA氏の霊魂並びに陸軍将校の霊魂からの消息によりて少しばかり判っているだけで、私の知識は主として霊界の方に限られていました。戦闘状態の幽界につきては何らの知識もありませんでした。
 私の著した「ゴーン・ウエスト」の売れ行きが莫大であったと同時に、多数の読者から奨励の手紙を恵まれたところから察すれば余程同書が世間の注意を引いたことは判ります。一体我々が死後の世界の真相を世間に発表するについては、一般の普通人並びに各既成宗教の牧師達からの非難攻撃を覚悟してかからねばなりませぬ。時には愚物として嘲られ、時には又妖術者として排斥されます。甚だしいのになると少々キ印ではないかと疑われます。が、これは新しい真理が最初是非とも遭遇せねばならぬ道程であります。とは云え、私はまるきり普通平凡な人間であります。即ち身を実業界に置き、複雑なる現世的事務を処理して行くことによりて生計を立てている所のただの人間であります。為替相場の変動、原料の仕入先、ドイツ人の貿易発展策、貿易上の統計表-これ等が平生私の関与している問題で、私がこんな事柄につきて論文なり、報告なりを書きますと、方々の貿易雑誌商業雑誌は喜んで採用掲載してくれます。
 私はここに自白しますが、単に金銭上の見地から云えば心霊上の書物を書くよりも、南米に於ける英国貿易の進展策とか何とかいうものを二つ三つ書いた方が遙かに有利なのであります。私は謝礼を目的とする職業霊媒ではないのであります。読者諸君が、私と会食でもなさる場合に、若し私が何も申し上げなかったならば、他の多くの多忙なる事務的の人間と何ら相違点のないことを発見されるでありましょう。果たして然らば、世の所謂批評家達が私の頭脳の健全を疑わるるのは謂れなきことではありますまいか?普通の明晰健実なる実業的能力が、心霊現象を研究する時に限りて混乱を来たしたり、詐欺的方面に馳せたりするという理屈があるでしょうか?若しこの霊界消息が真実でなく、又悲しみに充ちたる現世界の人達に何の役にも立たぬものと感じたなら、私は断じて自分自身にとりて絶対に神聖なるこれ等の文書を公表はしなかったでありましょう。
 それはそうと私の筆に成れる死後の生活の描写-これが果たして不自然なものでありましょうか?私の見る所ではこれは絶対に合理的であり、我々が幼児頭脳の中に注入された天堂地獄等の空漠にして嘘らしき物語よりも比較にならぬほど有力なものであると感ぜられます。在来の既成宗教は死後の生活につきて何ら合理的な物語を我々に教えない。その点に関してはローマカトリック教が一番結構だと存じますが、その教える所の多くは私が入手しつつある通信によりて初めて証明を与えられます。之を要するに、公平に言えばローマカトリック教は一時かつて門戸を開いたが、後再び之を閉ざし、往時の預言者達がもらした所は後の人達によりて曲解されたり、誤解されたりして見る影もないものになってしまったと言うべきでありましょう。
 大体において既成宗教は人類の口から発せられる最も痛切な質疑-死後我々は何処に行くか!という問に対して何らの解答を与えていない。我々は暗黒よりい出て暗黒へ帰る。何処より来たり、何処に行くか殆ど判らないというのが実際の事実であります。既成宗教にして人間の痛切なるこの質疑に答えることが出来ない以上宗教家以外の者がこの要望に当たるより外致し方がありますまい。我々は既に科学的眼光をもって「自然」の秘密を暴きました。これと同一筆法で「死」の最大秘密を暴こうではありませんか。この仕事は既に己に着手されております。日毎に真面目なる研究者の数は加わり、日毎に新しい発見が現れつつあります。若し宗教者流がこの大事業に参加協力することを拒むならば、遺憾ながら真理に目覚めたる我々のみで勇往邁進しようではありませんか。
 今や新しき黎明が開けつつあります。そして至重至貴の知識が吾人の掌理に帰しつつあります。外でもないそれは死後の姓名の連続ということの信仰にあらずして実証であります。
 霊界通信に対してしばしば耳にする所の非難の一つは、各自の描く所に相違点があるということです。しかしながら批評家達が広くそれ等の諸書を通読するならば、重要なる諸点に於いて悉く一致しており、ただ部分的の相違があるに過ぎないことを発見するでありましょう。この「未知の世界」は広大無辺であります。不一致の点が存在することは寧ろ当然でありましょう。若し火星の住民が我が地球に数人の特派員を送り、地球の住民の状況を無電で報道せしめたと仮定するならば、火星の新聞紙は恐らく霊界通信に対すると同様の酷評を下すでありましょう。
 試みに火星の新聞記事の模様を忖度(そんたく)するならば恐らくこんな按配ではありますまいか-近頃地球探検に出掛けたと称する迷信家連の手に成れる通信なるものは実に荒唐無稽、辻褄の合わぬこと甚だしきものである。数人の通信は殆どその各部分に於いて矛盾している。甲の通信には地球は一の砂漠で水が無いとある。乙の通信には地球は草木の鬱生した、ジメジメした林野だとある。丙の通信には地球は一の氷原で、その住民は毛皮を着ているとある。そうかと思えば丁は地球の住民は黒ン坊で陋屋(ろうおく)に住んでいると言い、戊は機械類や運輸交通機関の完備している大都市の模様などを面白く述べている。人間が空中を飛ぶなどという報告があるかと思えば、地上の人間は黄色で、殆ど機械類など所有せず、下らない村落生活を営んでいるなどとも報告する。てっきりこれは詐欺にあらずんば狂人の戯言に過ぎない・・・。
 ところが、事実は火星の特派通信員が、それぞれサハラの砂漠、ロンドン、コンゴー、支那、グリーンランド等の各地に着陸して見聞したままを報告しただけのことで、記事の相違していることが却って極めて合理的なのであります」
 私はこのワード氏の言説に余程もっともなところがあると感ずる者であります。ワード氏も職業宗教家達や新聞記者達の態度には余程手こずっている様子が見えますが、この点に於いては英国でも日本でも余り相違はないようです。
       
       
自殺してはならない霊的な理由 自殺志願者は、まず[自殺の霊的知識]を読んで!
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