自殺ダメ



 叔父さんの霊界の説明は中世期時代の西洋思想-例えばダンテの説いたところなどを引き合いに出しておりますが、これは仏教思想に対照して見ても大差は無いようであります。地獄、浄土、極楽-その概念は右の説明でほぼ明白になるかと存じます。
 叔父さんはなお言葉を続け諄々(じゅんじゅん)として地獄の意義その他につきて叔父さん一流の説明を試みました-
 「ワシは先刻地獄という言葉を使ったが、その意義を誤解されると困る。ワシはただ「未信者の居住地」という意味にそれを用いている。其処は霊魂にとりて一番の難所には相違ないが、一旦それを越してしまえば、それから先は坂道が緩くなる。又煉獄という言葉も誤解せぬようにしてもらいたい。煉獄というのは我々の霊魂に付着せる浮世の垢を除き去る場所で、苦痛もあるが、同時にまた進歩するにつれて幸福か伴って来る。
 ところで、こう言うとお前達がびっくりするかも知れぬが、実は我々とてやはり堕落する虞は充分あるのじゃ。少なくとも前へ進む代わりに後へ退歩する虞がある。煉獄というものは決して安息逸眠の場所ではない。ワシ達は上へ昇るべき努力の為に常に忙殺される。但し我々にはもう色欲の誘惑だけはない。そんなものはすっかり振り落としてしまった。よくよく憐れなる地獄の居住者のみがその誘惑にかかり、依然として煩悩の奴隷となる・・・。何れ詳しい話は後で述べるが・・・。
 それからお前に一言注意しておくが、時とするとお前はこの霊界通信の仕事において、つまらないと思うことがあるかも知れぬ。が、こればかりはどうか中止せずに続けてもらいたい。この仕事はワシにとりても中々一通りの骨折りではない。しかしワシは生前の怠慢の罪を償うべく進んでそれをやっている。霊界通信はただお前の利益になるばかりではない。世間の方々も又これによりて多少学び得ることがあろうと思う。
 以上述べたところで、大体ワシの目論見は判ったと思うが、兎に角ワシの通信を読まれる者は、成るべく最後の結論を後回しにして、是非種々の条項を比較対照して頂きたい。特にワシの通信中に何も書いてないからというので、ワシがその事実を否定するのであると早合点されては迷惑である。一口に霊界といっても広大無辺の境域であるから、いかなる霊魂にもその中のホンの一小部分よりしか判りはせぬのじゃ-今日はこれでおおよそ言い尽くしたつもりじゃが、それとも何かまだ質問があるかしら・・・」
 ワード「霊界に光だの闇だのがあるものですか?」
 叔父「お前の思っているような光だの闇だのは先ず無いな。霊界は物質界ではないのであるから、従って物質的の光の存在すべき筈がない。が、一種心の闇というような闇はある。地獄は信仰の無い境地であるから、従って真っ暗である。ワシの居る境地はお前に今実地を見せるから、眼を開けて見るがよい!」
 そう言われると同時に、ワード氏の眼には一種穏やかな夕陽の色が映ったのでした。
 叔父「これがワシの居る世界の光じゃ。我々は全き信仰に入った者の如く判然と物を観ることは出来ない。ただ一歩進めば進むにつれて光は段々強くなる。光-若しそれを光と言い得るならば-は全て自身の内部にある。今日はこれで別れる・・・・」
 叔父の姿は次第にワード氏の眼底から消えて、やがて氏ただ一人後に取り残されました。