自殺ダメ


これは、オーエンの『ヴェールの彼方の生活』の第三巻に書かれていた話である。


 1918年1月11日 金曜日

 私の話に元気付けられたキャプテンの後に付いて、我々は再び下りていった。やがて岩肌に掘り刻まれた階段の所に来て、それを降りきると巨大な門があった。キャプテンが腰に差していた鞭の持ち手で扉を叩くと、鉄格子から恐ろしい顔をした男が覗いて“誰だ?”と言う。形は人間に違いないが、獰猛な野獣の感じが漂い、大きな口、恐ろしい牙、長い耳をしている。キャプテンが命令調で簡単に返事をすると扉が開けられ、我々は中に入った。そこは大きな洞窟で、すぐ目の前の隙間から赤茶けた不気味な光が洩れて、我々の立っている場所の壁や天井をうっすらと照らしている。近寄ってその隙間から奥を覗くと、そこは急な窪みになっていて人体の六倍程の深さがある。我々は霊力を駆使して辺りを見回した。そして目が薄明かりに慣れてくると、前方に広大な地下平野が広がっているのが分かった。どこまで広がっているのか見当もつかない。その窪みを中心として幾本もの通路が四方八方に広がっており、その行く先は闇の中に消えている。見ていると、幾つもの人影がまるで恐怖におののいているかの如く足早やに行き来している。時折足に鎖を付けられた者がじゃらじゃらと音を立てて歩いているのが聞こえる。そうかと思うと、悶え苦しむ不気味な声や狂ったように高らかに笑う声、それと共に鞭打つ音が聞こえてくる。思わず目を覆い耳を塞ぎたくなる。苦しむ者が更に自分より弱い者を苦しめては憎しみを発散させているのである。辺り一面、残虐の空気に満ち満ちている。私はキャプテンの方を向いて厳しい口調で言った。
 「ここが我々の探していた場所だ!どこから降りるのだ?!」
 彼は私の口調が厳しくなったのを感じてこう答えた。
 「そういう物の言い方は一向に構いませんぞ。私にとっては同胞と呼んでくれるよりは、そういう厳しい物の言い方の方がむしろ苦痛が少ない位です。と言うのも、私もかつてはこの先で苦役に服し、更には鞭を手にして他の者達を苦役に服させ、そしてその冷酷さを買われてこの先に出入り口のある区域で主任監督となった者です。そこはここからは見えません。ここより更に低く深い採掘場へ続く、幾つもある区域の最初です。それから更にボスの宮殿で働くようになり、そして例の正門の衛兵のキャプテンになったという次第。ですが、今にして思えば、もし選択が許されるものなら、こうして権威ある地位にいるよりは、むしろ鉱山の奥底に落ちたままの方が楽だったでしょうな。そうは言っても、二度と戻りたいとは思わん。嫌です・・・・嫌です・・・・」
 そう言ったまま彼は苦しい思いに身を沈め、私が次のような質問をするまで、我々の存在も忘れて黙っていた。
 「この先にある最初の広い区域は何をするところであろう?」
 「あそこはずっと先にある仕事場で溶融された鉱石がボスの使用する凶器や装飾品に加工される所です。出来上がると天上を突き抜けて引き上げられ、命じられた場所へ運ばれる。次の仕事場は鉱石が選り分けられる所。その次は溶融されたものを鋳型に入れて形を作る所。一番奥の一番底が採掘現場です。いかがです?降りてみられますか」
 私は是非降りて、まず最初の区域を見ることでその先の様子を知りたいと言った。
 それでは、ということで彼は我々を案内して通風孔まで進み、そこで短い階段を下りて少し進むと、さっき覗いた下から少し離れた所に出た。その区域は下り傾斜になっており、そこを抜け切って、さっきキャプテンが話してくれた幾つかの仕事場を通り過ぎて、ついに採掘場まで来た。私は何としてもこの暗黒界の悲劇のドン底を見て帰る覚悟だったのである。
 通っていった仕事場は全てキャプテンの話した通りだった。天上の高さも奥行きも深さも途方もない規模だった。が、そこで働く何万と数える苦役者は全て奴隷の身であり、時たま、ほんの時たま、小さな班に分けられて厳しい監視のもとに地上の仕事が与えられる。が、それは私には決してお情けとは思えなかった。むしろ惨酷さと効率の計算から来ていた。つまり再び地下に戻されるということは絶望感を倍加させる。そして真面目に、そして忠実に働いていると、またその報酬として地上へ上げてもらえる、ということの繰り返しにすぎない。空気はどこも重苦しく悪臭に満ち、絶望感から来る無気力がみんなの肩にのしかかっている。それは働く者も働かせる者も同じだった。
 我々はついに採掘場へ来た。出入り口の向こうは広大な台地が広がっている。天井は見当たらない。上はただの真っ暗である。ほら穴というよりは深い谷間にいる感じで、両側にそそり立つ岩は頂上が見えない。それほど地下深くに我々はいる。ところが左右のあちらこちらに、更に深く降りていく為の横坑が走っており、その奥は時折チラチラと炎が揺れて見えるほかは、殆どが漆黒の闇である。そして長く尾を引いた溜息のような音がひっきりなしに辺りに聞こえる。風が吹く音のようにも聞こえるが空気は動いていない。立坑もある。その岩壁に刻み込まれた階段づたいに降りては、我々が今立っている位置よりはるか地下で掘った鉱石を坑道を通って運び上げている。台地には幾本もの通路が設けてあり、遠くにある他の作業場へ行く為の出入り口に繋がっている。その範囲は暗黒界の地下深くの広大な地域に広がっており、それは例の“光の橋”はもとより、その下の平地の地下遙か遙か下方に位置している。ああ、そこで働く哀れな無数の霊の絶望的苦悶・・・・途方もない暗黒の中に沈められ、救い出してくれる者のいない霊達・・・・
 がしかし、たとえ彼ら自身も諦めていても、光明の世界においては彼らの一人ひとりを見守り、援助を受け入れる用意の出来た者には、この度の我々がそうであるように、救助の霊が差し向けられるのである。
 さて私は辺りを見回し、キャプテンからの説明を受けた後、周りにある出入り口の全ての扉を開けるように命じた。するとキャプテンが言った。
 「申し訳ない。貴殿の言う通りにしてあげたい気持は山々だが、私はボスが怖いのです。怒った時の恐ろしさは、それはそれは酷いものです。こうしている間もどこかにスパイがいて、彼に取り入る為に、我々のこれまでの行動の一部始終を報告しているのではないかと、心配で心配でなりません」
 それを聞いて私はこう言った。
 「我々がこの暗黒の都市へ来て初めてお会いして以来そなたは急速に進歩しているようにお見受けする。以前にも一度そなたの心の動きに向上に兆しが見られるのに気付いたことがあったが、その時は申し上げるのを控えた。今のお話を聞いて私の判断に間違いがなかったことを知りました。そこで、そなたに一つの選択を要求したい。早急にお考え頂いて決断を下してもらいたい。我々がここへ参ったのは、この土地の者で少しでも光明を求めて向上する意志のある者を道案内する為です。そなたが我々の味方になって力をお貸しくださるか、それとも反対なさるか、その判断をそなたに一任します。いかがであろう、我々と行動を共にされますか、それともここに留まって今まで通りボスに仕えますか。早急に決断を下して頂きたい」
 彼は立ったまま私を見つめ、次に私の仲間へ目をやり、それから暗闇の奥深く続く坑道に目をやり、そして自分の足元に目を落とした。それは私が要求したように素早い動きであった。そして、きっぱりとこう言った。
 「有難うございました。ご命令通り、全ての門を開けます。しかし私自身はご一緒する約束は出来ません。そこまでは勇気が出ません-まだ今のところは」
 そう言い終るや、あたかもそう決心したことが新たな元気を与えたかの如く、くるりと向きを変えた。その後ろ姿には覚悟を決めた雰囲気が漂い、膝まで下がったチェニックにも少しばかり優雅さが見られ、身体にも上品さと健康美が増していることが、薄暗い光の中でもはっきりと読み取れた。それを見て私は彼が自分でも気付かない内に霊格が向上しつつあることを知った。極悪非道の罪業の為に本来の霊格が抑えられていたが、何かをきっかけに突如として魂の牢獄の門が開かれ、自由と神の陽光を求めて突進し始めるということは時としてあるものです。実際にあります。しかし彼はそのことを自覚していなかったし、私も彼の持久力に確信がもてなかったので黙って様子を窺っていたわけです。
 そのうち彼が強い調子で門番に命じる声が聞こえてきた。更に坑道を急いで次の門で同じように命令しているのが聞こえた。その調子で彼は次々と門を開けさせながら、我々が最初に見た大きな作業場へ向かって次第に遠ざかっていくのが、次第に小さくなっていくその声で分かった。