自殺ダメ


 バーバネルやエドワーズと同じく私もキリスト教とは無縁の生い立ちを過ごしたのであるが、英米人から生きた英語を学びたい一心で当時(昭和二十九年)外人講師か一番多かった明治学院を選んだ。キリスト教のミッション校であることは入学して初めて知ったほどである。しかし、その時は既に浅野和三郎による『霊訓』の抄訳に目を通しており、バイブルの中のイエスが実像と異なることをインペレーターが指摘していることを知っていた。そして二年生になってすぐサイキック・ニューズ紙でシルバーバーチの霊言との出会いがあり、その何ともいえない、品格のある、そして悠然とした語り口(文体)の虜(とりこ)になってしまった。
 そのシルバーバーチもイエスの処女懐胎説や贖罪説を否定し、イエスも全ての人間と同じように生まれそして死んでいったと述べ、自然法則を超越した摩訶不思議は何一つないことを繰り返し述べていることを知った。更に両者が口を揃えて断言している大事なことが二つあることも分かってきた。その一つは、肉体に宿って地上へ誕生した霊(我々人間の全てが「肉体に宿った霊」である)の中でイエスが最高の霊格を備えた霊であるということ。もう一つが、地上世界の霊的浄化活動すなわちスピリチュアリズムの総指揮に当たっているということ。
 これに関連して注目すべきことは、スピリチュアリズムの最前線で活動している世界規模の霊団が年二回一堂に会して「審議会」を開催し、活動の進捗状況を報告し合い、次の仕事を申し渡されるということ。その審議会を主催するのがイエスだという。[あの「ナザレのイエス」と呼ばれたイエスです]とシルバーバーチは述べている。
 インペレーターの『霊訓』とシルバーバーチの『霊言集』を全訳しながら私が直観したのは、イエスは古神道でいう天津神(あまつがみ)の一柱で、地球圏の創造界に所属し、地上界の霊的浄化の為の大計画の実施を前に、地上生活を身をもって体験する為に降誕したということである。このテーマについては私個人の考えがあるが、まだ熟しきっていないので、ここではこれ以上は述べないことにする。
 さて本稿も閉じたいと思っていたところへ米国からの興味深いニュースが入って来た。「ダヴィンチ・コード」という映画が大論争を巻き起こしているという。イエスがマグダラのマリヤと結婚して子孫を遺していて、その事実をキリスト教会が極秘とする為に数々の陰謀をめぐらしてきた、というのが映画の筋らしい。「下衆の勘ぐり」という言葉がピッタリ来るようなストーリーである。
 キリスト教に関しては、原始キリスト教からコンスタンティヌスによる国教化、その後の国家的規模の狂気の沙汰に至るまでの記録や文献、研究書に目を通してきたが、イエスの地上生活に関する霊界通信として自信を持って推薦するのは、ハート出版から出して頂いた『イエス・キリスト-忘れられた物語』である。
 原文のタイトルは直訳できないが、物語は、噂に高いイエス・イマヌエルという人物が世界旅行から帰って来た時のシーンから始まる。物語が進むにつれて一人また一人と通説のバイブルの人物が登場してくるが、全体として何一つ摩訶不思議なところはなく、極めて自然である。イエスにも神がかり的なところはなく「完成された人物像」として描かれていて抵抗がない。
 紹介した文献は馬車で両親のもとへ行く途中で切々と生い立ちを語るシーンで、ここを読んで私は翻訳の決意を固めたのだった。


           シルバーバーチ関連の書籍の訳者 近藤千雄氏著